2007-02-07 第166回国会 参議院 少子高齢社会に関する調査会 第1号
そういうふうな一見抑圧された堅苦しい家族の状況も一面はあったんでしょうけれども、それがやはり三世代の中に、きちんとした人間の情操とかしつけとか、失敗と成功なんというふうな人生劇場がこの中にできておったかなと思うんです。
そういうふうな一見抑圧された堅苦しい家族の状況も一面はあったんでしょうけれども、それがやはり三世代の中に、きちんとした人間の情操とかしつけとか、失敗と成功なんというふうな人生劇場がこの中にできておったかなと思うんです。
次に、「南国土佐を後にして」とか「人生劇場」、さらに「東京ナイト・クラブ」というようなものも来年には保護期間が切れるという結果になります。こういったようなことの事態によって国内でもビートルズと同じような関係が生まれるわけでございまして、そういう意味からもこの法案の改正を急いで行っていただきたいという点でございます。
それそのものにも論評を加える立場にはございませんが、次に私の「やると思えばどこまでやるさ」という、これは「人生劇場」の話でございますが、田舎から上京してきました青成瓢吉という青年が早稲田大学に学んでおりますと、何となく自分にこのイメージをダブらせながらそういう青春時代を過ごしたという思い出話をいたしましたので、これは税制とも行政とも関係のない話でございますだけに、あなたにも青春時代はあったでございましょうから
だけど今の、尾崎士郎「人生劇場」の話じゃないんです。この秋の臨時国会で大型間接税をやるという、そういう決意は変わらないということを、私はそういう形でお伺いしているんですが、そういうことですか。
また、先生は、名望蒙に生まれながらも、料亭よりもむしろ屋台を好まれ、微醺を帯びて興に乗れば「知床旅情」や「人生劇場」を口ずさむ庶民的な政治家でもありました。しかし、その先生の哀愁に満ちた歌声を拝聴することはもはやかなわぬ願いとなりました。この寂蓼何をもって補うべきでしょうか。
たとえば尾崎士郎の「人生劇場」とか漱石の「吾輩は猫である」とかというような特殊な題名を保護する。しかし、この保護する場合に、それを押えるのは不正競争防止法によってこれが押えられるということになっております。まあそれでもいいかもわからないのですけれども、何かここにもっとはっきりと文章で押えるようにしてもらいたいと思うのです。
尾崎士郎の「人生劇場」という、あれを薬でしたか何かの広告に使おうとしたのです。それでさっそく協会であわててそんな薬なんかに使ってもらっちゃ困ると申し入れましたら、向こうもすなおに承知して引っ込めました。つまりそういうときに不正競争防止、これをどういうふうに扱うのかわかりません。
たとえば尾崎士郎の「人生劇場」とか……。ですから、そういう意味では、ここからここという線をひくのは、非常にむずかしいと思うのです。慣用によってこれはだれだれのものだということが一般の常識になっていると思うのですが、その常識の線でやはり判断するよりしようがない。それをはっきり区別するあれはございません。
つまり、早く帰らんがためにあとで言うことで言うならば、早く帰らんがために、一生懸命アクティブになり、共産主義を勉強し、うそを言い、信奉してもいない共産主義を、そしてほめるべきでないところをほめ、自分の信条を全く偽った、人生劇場の中で恥ずべきときのことではないか。そのときの、その抑留中のことを、べートーベンを書くときに筆がふるえなかったであろうかと私は疑うのであります。